自分の考えを他人に伝えられる子供の育て方

単語だけで話す生徒が増えている

 人に自分の意見や考えをわかりやすく伝える「話す力」や、それを文章として「書く力」は、どちらも「表現力」と呼ばれます。子どもたちの表現力は年々乏しくなっているような気がしてなりません。特に気になるのは「話す力」の低下です。きちんとした文章ではなく、単語で話すことが多いのです。
 たとえば、生徒が宿題を忘れてきた時、「先生、・・・宿題・・・」としか言わず、あとは推測してと言わんばかりに、こちらの顔を見ています。「宿題がどうしたの?」と聞き返すと、「ないです」と答えます。この返答に教師は一瞬戸惑います。前の授業で教師が宿題を出さなかった、という意味かと勘違いしてしまうからです。もちろんすぐに生徒の発言の意図を理解し、「宿題をやってこなかったの?」と聞きます。しかし、生徒は「いいえ」と答えます。ここでまた教師の頭の中には軽い混乱が生じますが、これまでの経験から生徒の言いたいことを想像します。「宿題はやったけど、持ってくるのを忘れてしまったということ?」と聞き直すと、生徒が「はい」と言ってようやく会話が完成するのです。
 一方、話す力がある生徒の場合は、「先生、すみません。今日までの宿題を家に忘れてきてしまったので、次回提出しても良いですか?」などのように、単語ではなく、きちんとした文章で話すことができます。

手抜き会話に慣れてしまう環境

 きちんとした文章で話さない子は、普段から単語や必要最低限の文節でしか喋らず、しかもそれで意思疎通ができてしまうのでしょう。「ごはん」と言えばポンとご飯が出てきたり、「学校はどう?」「普通」というような会話をするのは、阿吽の呼吸といえば聞こえはいいように感じますが、それが話す能力が衰える原因のひとつだとしたら、放置すべき状況ではありません。また、親が会話の主導権を握り、子どもは「うん」や「ううん」としか答えないような会話が繰り広げられていたり、子供の話の途中で親が結論を察して、先回りして子供の発言を奪ったりしていては、話す力が育つはずがありません。こうした小さな積み重ねが、徐々に子どもから表現力を奪っていくのです。

普段の生活での言葉が表現力を作る

 話す力を鍛えるには、国語や算数などのように何かの問題集を勉強するのではなく、普段の生活の中で常にきちんとした会話をするように心がけることが大切です。たとえば授業中に生徒が「先生、トイレ!」と言ったとしたら、もちろんそれだけでも意味は想像できるのですが、あえて「トイレがどうした?」と聞き返して、「トイレに行ってもいいですか」というところまで生徒に言わせるのが理想です。
 そこまで徹底する必要があるのか、と感じる人もいるかもしれません。たしかに、言いたいことが伝わって会話が成立していれば十分だというなら、ここまでする必要はないでしょう。しかし、上でも述べたように、普段から必要最低限の会話しかしていないと、何かの時にもっと複雑な気持ちや概念などを伝える必要が生じても、上手く表現できなくなってしまいます。ましてや、敬語なんて全く使えなくなるでしょう。
 もちろん、表現力を高めるためには、それ以前にある程度の語彙も必要ですが、その点でも日常会話は重要な役割を果たします。子供たちが語彙をふやすためには、周りの大人や友人たちが発する言葉を聞いて「知らない言葉だけど、前後の文脈から想像して大体こんな意味なんだろうな」と考える経験をたくさんする必要があるからです。辞書を引いて知る言葉の数など、ほんの一部です。圧倒的多数の言葉は、使いながら覚えていくものです。だから、日常会話で必要以上に言葉を省いてしまうのは危険なのです。
 普段から国語の教科書の論説文で出てくるような堅苦しい言葉で話す必要はありませんが、せめて単語ではなく、きちんとした文章で話すように気をつけるべきだと思います。